2007年 12月 06日
古代妄想 その2 天照大神が旅に出た理由 |
日本書紀には……「10代天皇崇神天皇の5年、国内に疫病がはやったので、朝夕に天神地祗にお祈りをして、これ以後、天照大神と倭大国魂(やまとおおくにたま)の二神を天皇の御殿の中に祀った。が、神の勢いを畏れ、共に住むには不安があったので、天照大神を皇女の豊鍬入姫(とよいりびめのみこと)に託し、大和の笠縫邑に祀り、倭大国魂神は渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に預けて祀らせた」とあります。
←倭大国魂神を皇居から移したという大和(おおやまと)神社。祭神は大和大国魂(おおやまとおおくにたま)大神のほか、八千戈(やちほこ)大神、御歳(みとし)大神とあります。八千戈大神は大国主命の別名の一つ。ちなみに、大物主命も大国主の別名の一つです。御歳神は素佐之男尊(すさのおのみこと)の子供だったかな? このへんもなんか、怪しい……。
この話に、激しく「なんで?」と思ってしまったわけです。
だって、天照大神といえば、皇祖神、天皇の祖先のはず。なぜ自分の祖先をおそれなければならないのか。皇居で祀ることになぜ不安があったのか。
しかも。伊勢神宮の御神体は、三種の神器としても有名な八咫鏡で、天孫降臨のとき、天照大神が「この鏡を私の御魂として、私を拝むのと同じように敬って祀りなさい」といって邇邇芸命(ににぎのみこと)に八尺の勾玉、草薙の剣とともに与えたもの。その鏡を皇居から出してしまうのは、天照大神の命令に背くことにもなると思うわけです。
実は、これを書いていて初めて気がつきました。
国内に疫病がはやったので、これ以後、天照大神(と倭大国魂)を皇居に祀った、と書いてあるわけですね。
これまたおかしい。八咫鏡は天孫降臨以来、天皇とともにずっとあったはずだし、10代目の天皇、つまり邇邇芸命から12代の間、自分たちの祖先を祭っていなかったなんてことはないんじゃないかな。
この他にも、古事記・日本書紀の謎は数々あり、いろんな人がいろんな説を唱えているわけですが、中でも定説となっている(?)のは、皇祖神である天照大神と、大和朝廷以前の太陽神である天照大神は別のものである、という説。
皇祖神と天照大神が別ものであれば、上記の記述もすんなり納得がいきます。
←倭大国魂神を皇居から移したという大和(おおやまと)神社。祭神は大和大国魂(おおやまとおおくにたま)大神のほか、八千戈(やちほこ)大神、御歳(みとし)大神とあります。八千戈大神は大国主命の別名の一つ。ちなみに、大物主命も大国主の別名の一つです。御歳神は素佐之男尊(すさのおのみこと)の子供だったかな? このへんもなんか、怪しい……。
この話に、激しく「なんで?」と思ってしまったわけです。
だって、天照大神といえば、皇祖神、天皇の祖先のはず。なぜ自分の祖先をおそれなければならないのか。皇居で祀ることになぜ不安があったのか。
しかも。伊勢神宮の御神体は、三種の神器としても有名な八咫鏡で、天孫降臨のとき、天照大神が「この鏡を私の御魂として、私を拝むのと同じように敬って祀りなさい」といって邇邇芸命(ににぎのみこと)に八尺の勾玉、草薙の剣とともに与えたもの。その鏡を皇居から出してしまうのは、天照大神の命令に背くことにもなると思うわけです。
実は、これを書いていて初めて気がつきました。
国内に疫病がはやったので、これ以後、天照大神(と倭大国魂)を皇居に祀った、と書いてあるわけですね。
これまたおかしい。八咫鏡は天孫降臨以来、天皇とともにずっとあったはずだし、10代目の天皇、つまり邇邇芸命から12代の間、自分たちの祖先を祭っていなかったなんてことはないんじゃないかな。
この他にも、古事記・日本書紀の謎は数々あり、いろんな人がいろんな説を唱えているわけですが、中でも定説となっている(?)のは、皇祖神である天照大神と、大和朝廷以前の太陽神である天照大神は別のものである、という説。
皇祖神と天照大神が別ものであれば、上記の記述もすんなり納得がいきます。
by chiharu-N413
| 2007-12-06 18:47
| よもやま話