2007年 12月 13日
古代妄想 その4 籠神社の謎 |
饒速日命を祀る神社のなかでも注目の神社は、京都府天の橋立にある籠(この)神社。
十代崇神天皇の時代に、皇居から大和の笠縫邑(三輪山の麓)に祀られた天照大神は、十一代垂仁天皇の時代になると、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に託されて、あっちこっち旅をした末に、現在の伊勢の地に鎮座します。
←伊勢神宮とほぼ同様の唯一神明造りの籠神社本殿。伊勢神宮の正宮正殿は4重の御垣に囲まれていて、その正殿まで入れるのは天皇陛下ただお一人。一般庶民は4重の御垣のいちばん外側までしか行けないので、正殿を目にすることはできません。そういう意味でも、ここは貴重な存在。正殿を囲む高欄に据えた五色の玉も、ここなら目にできます。
2002年10月撮影
その旅で、最初に腰を落ち着けたのが、ここ、籠神社。
主祭神として前面にかかげているのは「彦火明命」ですが、「亦名」として「天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命」としています。
そもそも、倭姫命が“天照大神”を奉じてここを訪れる前は、伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神を祀っていたといいますが、大和から来た“天照大神”がこの地を去ったあとに、祭神が饒速日命に変わってしまった、というのも実におかしな話です。
ちなみに、外宮は二十一代雄略天皇の時代、伊勢の天照大神から「丹後の豊受大神を呼べ」という神託を受けた、ということで創設されました。“天照大神”が諸国を回ってやっと伊勢にたどりついたのとは対照的に、豊受大神は丹後からストレートに伊勢へ遷っています。
→籠神社の奥宮、真名井神社の本殿。外宮の豊受大神は、ここから直接伊勢へ遷りました。祭神はもちろん豊受大神でまたの名として、天御中主神・国常立尊歳人をあげています。本殿の後ろには神が宿るとされる磐座があります。
2002年10月撮影
そしてもう一つ、籠神社で見逃せないのが宮司の系図である「海部氏系図」です。始祖彦火明命から現在の宮司まで八十二代を記したもので、1975年に初めて公表されて、翌年には国宝に指定されました。なぜ長年公表されなかったかというと、彦火明命は天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、天孫として丹後に天降った、という伝承があるから。万世一系であるはずの天皇家のほかにも、皇祖神につながる家系があることになってしまうからでしょう。
ほかにも、この系図には意味シンな部分が多いんです。彦火明命から9代目の孫として、「日女命(ひめのみこと)」という記述があり、脇には「またの名を倭迹迹日百襲姫命、またの名を神大市姫命、日神ともいう」と記されています。
倭迹迹日百襲姫命といえば、大物主命の妻であり、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓に葬られているはずの人であり、箸墓がある地名は大市であり……、よって、この「日女命」こそ卑弥呼のことである、という説もあります。
十代崇神天皇の時代に、皇居から大和の笠縫邑(三輪山の麓)に祀られた天照大神は、十一代垂仁天皇の時代になると、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に託されて、あっちこっち旅をした末に、現在の伊勢の地に鎮座します。
←伊勢神宮とほぼ同様の唯一神明造りの籠神社本殿。伊勢神宮の正宮正殿は4重の御垣に囲まれていて、その正殿まで入れるのは天皇陛下ただお一人。一般庶民は4重の御垣のいちばん外側までしか行けないので、正殿を目にすることはできません。そういう意味でも、ここは貴重な存在。正殿を囲む高欄に据えた五色の玉も、ここなら目にできます。
2002年10月撮影
その旅で、最初に腰を落ち着けたのが、ここ、籠神社。
主祭神として前面にかかげているのは「彦火明命」ですが、「亦名」として「天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命」としています。
そもそも、倭姫命が“天照大神”を奉じてここを訪れる前は、伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神を祀っていたといいますが、大和から来た“天照大神”がこの地を去ったあとに、祭神が饒速日命に変わってしまった、というのも実におかしな話です。
ちなみに、外宮は二十一代雄略天皇の時代、伊勢の天照大神から「丹後の豊受大神を呼べ」という神託を受けた、ということで創設されました。“天照大神”が諸国を回ってやっと伊勢にたどりついたのとは対照的に、豊受大神は丹後からストレートに伊勢へ遷っています。
→籠神社の奥宮、真名井神社の本殿。外宮の豊受大神は、ここから直接伊勢へ遷りました。祭神はもちろん豊受大神でまたの名として、天御中主神・国常立尊歳人をあげています。本殿の後ろには神が宿るとされる磐座があります。
2002年10月撮影
そしてもう一つ、籠神社で見逃せないのが宮司の系図である「海部氏系図」です。始祖彦火明命から現在の宮司まで八十二代を記したもので、1975年に初めて公表されて、翌年には国宝に指定されました。なぜ長年公表されなかったかというと、彦火明命は天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、天孫として丹後に天降った、という伝承があるから。万世一系であるはずの天皇家のほかにも、皇祖神につながる家系があることになってしまうからでしょう。
ほかにも、この系図には意味シンな部分が多いんです。彦火明命から9代目の孫として、「日女命(ひめのみこと)」という記述があり、脇には「またの名を倭迹迹日百襲姫命、またの名を神大市姫命、日神ともいう」と記されています。
倭迹迹日百襲姫命といえば、大物主命の妻であり、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓に葬られているはずの人であり、箸墓がある地名は大市であり……、よって、この「日女命」こそ卑弥呼のことである、という説もあります。
by chiharu-N413
| 2007-12-13 13:33
| よもやま話